東日本大震災
THE GREAT EAST JAPAN EARTHQUAKE
赤間信義
日本/30分/2011年
大津波で壊滅的な被害を受けた宮城県石巻地方沿岸部。東日本大震災で一番多くの犠牲者を出した地域です。なぜ命を守ることができなかったのか。明治29年、昭和8年などの大津波の教訓はどこまで生かされたのでしょうか。悲劇の背景には多くの課題がありました。
冠水した弊社石巻本社と多くの惨状をまのあたりにして、何としてでも後世へ記録として残そうと取材を開始。収録は25時間。構成は記録に徹しました。ナレーションを入れずに字幕と証言で訴える手法をとりました。検証や感情的な解釈をせずに震災の事実のみを積み重ねました。見る人にさまざまなことを考えてもらいたいためです。全校児童の約7割が犠牲になった小学校。日頃の訓練通り裏山に避難して全校児童が助かった小学校もありました。指定避難所に逃げたほぼ全員が行方不明になった悲劇。異口同音にこれほどの巨大津波がくるとは…。いったい生と死を分けたものは何だったのでしょうか。石巻市雄勝町の浜辺に「地震があったら津波の用心」と刻まれた石碑がありました。先人が残した警告です。東日本大震災の映像記録-そこには次世代に伝えたい多くの教訓があります。
冠水した弊社石巻本社と多くの惨状をまのあたりにして、何としてでも後世へ記録として残そうと取材を開始。収録は25時間。構成は記録に徹しました。ナレーションを入れずに字幕と証言で訴える手法をとりました。検証や感情的な解釈をせずに震災の事実のみを積み重ねました。見る人にさまざまなことを考えてもらいたいためです。全校児童の約7割が犠牲になった小学校。日頃の訓練通り裏山に避難して全校児童が助かった小学校もありました。指定避難所に逃げたほぼ全員が行方不明になった悲劇。異口同音にこれほどの巨大津波がくるとは…。いったい生と死を分けたものは何だったのでしょうか。石巻市雄勝町の浜辺に「地震があったら津波の用心」と刻まれた石碑がありました。先人が残した警告です。東日本大震災の映像記録-そこには次世代に伝えたい多くの教訓があります。
作品名(日本語) | 東日本大震災 |
---|---|
作品名(英語) | THE GREAT EAST JAPAN EARTHQUAKE |
作品名(オリジナル言語) | 東日本大震災 |
監督名・製作代表者名(日本語) | 赤間信義 |
監督・製作代表者名(オリジナル言語) | 赤間信義 |
監督・略歴 | 1934年7月10日生まれ。宮城県石巻市出身。立教大学経済学部卒。仙台放送報道制作プロデューサー「ツェットはこなかった」「走れ機関車」など。民法番組コンクールで受賞。退社後、民放番組コンクールで「北の大河」受賞。安全衛生教育ビデオコンクールで「冬道の安全走行」受賞。官公庁、学校、企業作品多数。 |
製作年(作品完成年:西暦) | 2011 |
製作国 | 日本 |
上映時間(分) | 30分 |
画角(フレームサイズ) | (ビデオ)16:9 |
色 | カラー |
上映可能フォーマット | DVD |
主な撮影地 | 石巻市沿岸部、新北上川周辺、牡鹿半島周辺、東松島市、女川町 |
主な撮影時期 | 2011年3月13日 〜 2011年4月30日 |
主な被写体人物名(登場人物) | |
使用言語 | 日本語、 |
字幕の言語 | 英語、 |
初公開年月日(西暦) | 2011年8月30日 |
初公開国 | 日本 |
日本での初公開年月日(西暦) | 2011年8月30日 |
上映実績(映画祭、商業上映など) | |
製作スタッフクレジット |
脚本:赤間信義 撮影:髙橋謙二 編集:安海厚 録音:安海厚 |
製作者名(日本語) | 株式会社ビデオプラザ神奈川 |
配給会社あるいは上映担当者名 (問い合わせ窓口) |
株式会社ビデオプラザ神奈川 メディア事業部 |
作品に関する公式ウェブサイト | |
ウェブサイト以外の オンライン・アクセス |
|
過去YIDFFにおける本作品の上映 | YIDFF 2011 |